御聖体と聖母の使徒トップページへ    聖人の歩んだ道のページへ     不思議のメダイのページへ    聖ヨゼフのロザリオのページへ


聖セバスチアノ殉教者    St. Sebastianus M.       記念日 1月 20日


 ローマ帝国300年に亘るキリスト教迫害の中、最も残忍酷烈を極めたのはディオクレチアノ皇帝の御代に行われたもので、天主への聖愛から雄々しく信仰を宣言して、潔く生命を献げた殉教者も夥しい数に上ったが、ここに記す聖セバスチアノもやはりその一人である。
 彼はフランス人を父とし、イタリア人を母としてフランスのナルボン市に生まれ、若くして洗礼を受けた。長じて後、彼は虐げられつつある同信の兄弟姉妹に、少しでも便宜を与えたいとの念願から、わざと身を軍籍に置き、暫くローマ市に勤務していたが、武勇人に勝れ、しばしば輝かしい勲功をたてたので、遂に皇帝のお目に留まり、名誉ある親衛兵の一人に抜擢されるに至った。
 その後彼はいよいよ皇帝の御覚えめでたく、その御寵愛を利用すれば如何なる出世も意のままであったろうが、地上の栄達をはかない浮き雲と観じている彼には、ただ皇帝に忠勤を抜きん出ることと天主に信心を尽くすことの外には、また他意なかったのである。
 そして余暇あれば窃かに迫害に悩む同胞を訪問し、力の限り慰め、援助し、その相談相手となる事を怠らなかった。幸い彼は皇帝の親衛兵として法廷へも牢獄へも自由に出入りする事が出来る身であったから、同志への心づくしには至極好都合であった。捕囚の信者等は彼の姿を遠くから見ただけでも深い慰めと力強さを感ずるのであった。殊に彼が折々聖具の隠して持ち来り、彼等にわかち与えた主の御聖体はどれほど彼等の信仰を強め、殉教への勇気を励ましたか知れない。また彼はカタコンブの集会礼拝に出席しては、その敬虔な態度に、信徒の鑑と仰がれた。
 然し迫害は日増しに激しくなって行った。聖セバスチアノの同信の友に対する配慮斡旋も長くその筋の目をくらましている事は出来なかった。彼はそろそろ身辺の危険を感じ始めた。けれども兄弟達の為に尽くすこと、それは天主に尽くすことに他ならない。そう思うと彼は一命を賭しても依然として彼等に対する陰の援助を続けぬ訳にはいかなかった。
ついにセバスチアノは皇帝の思し召しに背くキリスト教徒であるという噂が立ち始めた。皇帝はこれを聞くと、飼い犬に手を噛まれたように激怒され、直ちに彼を召して、「多年の愛顧にも拘わらず余の禁ずる邪宗門を信ずるとは畜生にも劣った忘恩不忠の臣である」口を極めて罵倒された末、速やかにその信仰を捨て、偶像を礼拝せよと厳命された。
 聖セバスチアノはその時主キリストや聖い信仰を否むことなく、ただ自分が決して不忠の臣でもなければ、国家に仇なす者でもない所以を、静かに弁明しただけであったが、それでは皇帝の御不興を解くに足らず、結局アフリカのヌビア人に弓矢で彼を射殺せよとの命令が下されたのである。
 然しかねて覚悟の聖セバスチアノは殉教こそわが望む所と、平然として眉一つ動かさなかった。その悠容迫らぬ態度には死刑を命じた皇帝すら「天晴れ勇士よ、殺すには惜しい武夫」と感嘆せずにはいられぬ程であった。が、綸言は汗の如し、いよいよ処刑の仕度は備えられ、セバスチアノはヌビア人の雨と注ぐ矢を身に受けてその場にたおれたのであった。
 兵卒等は彼を全く息絶えたものとして、よくも改めずに立ち去ったが、その夜半イレーネという篤志の婦人信者が、彼の遺骸を葬りに来て見ると、まだすっかり死に切ってはいない様子である。そこで種々手当を加えると果たして彼は蘇生した。同信の兄弟姉妹等の喜びは一通りではない、なおも看護の手をゆるめず彼の本復を待ったが、セバスチアノにして見れば、殉教の栄冠を取り逃がした事も残念であり、且つはもう一度よく説明したら皇帝もキリスト教の立場を理解して下さるであろうと思われるままに、ある日皇帝が太陽神像の前の階段を登られようとするとき、急に物影から現れ、信仰の故に罪もない人民を虐げ殺す非道を諄々とお諫めした。皇帝は死んだと思ったセバスチアノを目の前に見て、一時は幽霊かと驚かれたが、驚きが去ると怒気心頭に発し「早々彼を円戯場に連れゆき、棍棒にて打ち殺せ!」と激しく警護の兵卒等に下知されたのである。勅令のままに刑は即刻執行された。かくて聖セバスチアノは今度こそ日頃の望み通り殉教の光栄に入った。時あたかも西暦288年のことで、放水路に投げ捨てられたその遺骸は信者等の手に拾われ、カタコンブに運ばれてそこに手厚く埋葬された。
 その後ローマ帝国に信教の自由が与えられるや。彼の墓の上には一つの聖堂が建てられた。これ、今もローマ市に残る聖セバスチアノ聖堂のはじまりである。
 彼の栄えある殉教は世界の国々に語り伝えられ、その記念として作られた聖堂や絵画なども少なくない。彼が樹に縛められて矢に射られている聖絵の如きは、恐らくキリスト信者で知らぬ人はあるまい。

教訓

 聖セバスチアノはその皇帝及び国家に対する忠節、同信の兄弟に対する友愛、信仰に対する熱心等に於いて我等の尊い模範である。願わくは現代にも彼の如き信仰の勇士の輩出せん事を!